第12回|京都LIBRARY|木下昌大 → Read More

2024.09.05 第12回大東建託賃貸住宅コンペ第12回|京都LIBRARY|木下昌大

木下昌大

木下昌大 (きのした・まさひろ)

京都工芸繊維大学准教授、キノアーキテクツ
1978年滋賀県生まれ。
2003年京都工芸繊維大学大学院修士課程修了後、C+A、小泉アトリエを経て2007年キノアーキテクツ設立。2014年京都工芸繊維大学助教、2021年京都工芸繊維大学准教授。
2024年7月に京都西陣にKINO京都オフィスを移転するとともに自社で運営する軒下ロースタリーカフェ「noki noki」をオープン
Photo:© TAKA MAYUMI

人、時間、空間、それらの多様性が混在し、現代にも息づくまち

東京と京都のまちで感じること

僕は滋賀県の出身なのですが、大学から京都に出て京都工芸繊維大学で6年間建築を学び、ずっと東京に出たい思いがあったので、大学院修了後は東京の設計事務所で約4年働きました。2007年に独立してからは戸建て住宅や集合住宅の設計も何件か行い、その後2014年に母校の大学で教鞭を取ることになったため京都にもベースを置くかたちとなり今に至っています。現在は東京と京都の2拠点で仕事をしています。

東京は事業性がすごくシビアなので、限られたスペースの中で経済原則というゲームをどのようにクリアしていくかが重要です。東京と京都の大きな差は地価の違いで、経済原則をクリアするあり方がまちに反映されていると感じます。
僕たちの東京事務所は目白にあるのですが、駅から事務所までの目白通り沿いにあった個人商店はこの10年15年でほとんどがチェーン店に置き換わってしまいました。土地の価格に見合う大きな資本に支えられた商売でないと東京では成り立たなくなっているんです。それは商売に限らず、住まいも同じ状況だと思います。
でも京都に住んでみると、相変わらず個人商店が多く、昔から油だけ、たわしだけ売っている東京ではあり得ない生業がたくさん成り立っていて、小さな個人商店がいまだにまちを形成しています。
東京は基本的に経済原則が強すぎる上に、それ以外の選択肢がほとんど許されません。規模を大きくしてスケールメリットを取らないと成り立たないので建物の規模は大きくなり、僕たちのような建築家に何かできる規模感ではなくなって、どれも同じような建物になっている。まちの面白さはどんどん失われています。
でも京都は、そもそも中心部は土地の街区割が小さいので、大きな資本による開発がやりづらい状況があります。大きな資本による経済原則が機能しないようになっていることが、小さな開発を多発させてまちの多様性を生み出すという京都らしさを現代にも引き継いでまちが形成されていると思います。
その密度感がそのまままちの魅力として表れている、それが京都(中心部)最大の特徴ではないでしょうか。

生活の中で関わる場所と時間を所有する感覚がまちに反映される

京都の住まい方は、古くからある町屋形式の延長線上で、手前がお店で奥や上階に住まいがある伝統的なパターンと、最近は住まいは別で商売をする場所に通ってくるケースも増えています。
街区がグリッド状になっていて大きな通りに面してお店を展開するので、うなぎの寝床上の細長い敷地は、住まいとしない場合は奥の空間の活用はなかなか難しいのですが、そういった空間をギャラリーとして開放したり、カフェにしてみたり、住まい以外に上手に利用する店舗も増えています。
個人商店的に生業を成立させている人や、アーティスト的に個人の小さな場所を運営している人も多く、とにかくさまざまな人たちが雑多に集まっているまちに住まいも普通に混在する状況。東京ではなかなか見られなくなってしまったあり方が京都の日常として続いているのは、職住が共にあって発展し続けてきた長い歴史、そこに醸成された空気感があるのかもしれません。そして、それは先ほどお話しした大きな開発が入れないまちの構造と相まって、他の都市にはない京都らしさを保っているのです。
もうひとつ面白いのは、例えばまちにパブリックな公園があった時、公の管理はもちろん行政が担うのですが、実際には地元の方々が自発的にボランティア的に維持管理をしている点です。そういった風景をよく見かけます。皆さんは決してボランティアをしている意識はなく、自分の庭であるかのように日々お世話しています。笑 
それと似た話で、まちにあるカフェでは朝同じ時間に来て同じ席に座り、同じモーニングを注文し、帰る際にはその場所を自分で綺麗に片付けて帰る人がいるという話を聞きました。京都の人たちの振る舞いに注目してみると、自分の生活の一部になっている時間、空間を、自分の家、住まいと同じように関わる感覚が今でも根付いているのではないでしょうか。
京都のまちに外の人が入ってきづらいという話がありますが、京都の人にとって自分の生活の一部になる場所は、所有しているくらいの気持ちで接する人が多いのだと思うんです。生活圏を自分ごととして捉える人の文化と共にまちがつくられているように感じます。

京都ならではの多様なレイヤーに身を投じる

最近の京都の学生たちの中には、数人で町屋を借りて共同生活をしている人も多いそうです。町屋を所有している人が、売りたくはないけれどそのままにしておくのも家が傷むので、学生たちに貸しているようです。京都は大学が多くさまざまな場所から集まる学生も多いので、京都ならではの住まいで共同生活ができるのは魅力的なのかもしれません。
そういった傾向は国内の学生に限らずで、海外から来る留学生も同じなようです。研究室の大学院生が京都に来ている留学生がどんな場所に住んでいるかを調べていたのですが、各大学で留学生用の宿舎を用意しているにもかかわらず、実はみんながそこを活用しているわけではないというんです。彼らは留学生ばかりの住まいではなく、あえて日本人が一緒に暮らし、日本の文化に触れることができるシェアハウスやシェアアパートメントを多く利用しているとのことでした。日本の文化や人との触れ合いこそが京都に来て暮らす意味なのだと、海外から来る人たちも認識しているというのは意外でした。
京都のまちの面白いところは、住人の構造がもともとそこに住んでいる人と、学生の間だけ住む人と、留学生の割合も増えていて1年とか半年住む人、あとは1週間、1ヶ月、ワンシーズンの滞在など、滞在時間がさまざまな旅行者など人にも多様性があるところです。所有することへの意識も独特なグラデーションがあるまちですが、住むことについてもさまざまな時間軸を持つ人たちが重なり合っています。
そう考えると、京都における住み方には、かなりいろいろなかたちがあるように思います。東京は近代化が進んだことでその仕組みが経済的にも維持されているのですが、一方で京都は経済的にも仕組み的にも近代化しきれないまま現在に至っている状況で、ズルズルとちょっとずつ過去のものを引きずりながらアップデートされたまちです。結果さまざまなレイヤーが重なり合って多様性を生んでいる、それが面白さなのかなと思います。

京都周辺エリアのまちをどう考えていくのか

京都に住むことについて考えた時、中心部はまちの規模感やさまざまな人のあり方、建物のありようなど含めて、他のまちにはない面白い暮らしが展開できる土壌がいくらでもあるので僕自身は課題はあまり感じません。
一方で京都の周辺ですね、僕は2023年に京都府北部に位置する伊根町で、地域の図書館(伊根の杜、2023年)の設計を手掛けました。京都北部のエリアはあらゆる地方エリアと同じで、仕事が減り、人口減少や高齢化といった問題を抱えています。伊根町は舟屋の風景が有名な場所なので、北部エリアの中でも観光ポテンシャルが高い方なのですが、実はその舟屋も近代化して船が大きくなってしまった時から実際には漁業が営まれる場所ではなくなっています。趣味で釣り船が出ることなどはありますが、実際の漁業、つまり生業の場としては舟屋は機能しておらず、大きな漁港に集約されています。

舟屋が建ち並ぶ風景は魅力的なのですが、地元の人たちにとって観光地化することが必ずしもウェルカムでもありません。舟屋のまち並みが観光地としてポテンシャルがあることは認識しつつも、舟屋のある風景はもともとはかつての生活の風景であって、生きた生活の現れが魅力の源になっているんです。でも今やそのリソースそのものが廃れてしまっている状況を考えると、遺構のようになっている場所がどれぐらいの魅力を持ち得るのかというと難しい気がします。
伊根町は伝統的建造物群保存地区に指定されているので、建物の修繕は補助金で賄えることもあり、所有している人たちが建物を手放すことが他の地域より少ないです。なので乱開発は起きませんが、一方で観光地としての発展もゆるやかです。観光地として、宿泊するところも食べるところも圧倒的に足りない中で、今は外からバスで人が訪れ、遊覧船に乗って海からまちの写真を撮影し、あとはまちを散策して2時間ほど滞在したら次の場所に行ってしまう。数時間立ち寄るだけの場所になってしまっています。
若い人たちが頑張って、少しずつ何かを起こそうとする気運はありますが、観光をベースとした生業にはなるので、今後どうやっていけるかはまち全体の問題ですし、そういった課題は京都周辺のどの場所でも同じように持っていると思います。

伊根の社

Photo:© 中村絵

 

京都に住む定義をどう考えるのか

そもそも「住む」ことはどう定義されるのでしょうか。何がどうであると住むことになるのか、それ以外は体験なのか、その定義自体が京都ではすごく曖昧な気がします。賃貸住宅といった時も、賃貸するという定義は1年なのか、1ヶ月なのか、1日だけ借りるのは賃貸ではなくホテルなのか、制度的な線引きはあるとしても、今僕らが設計している1棟貸しのホテルなどを見ても、設備的にはほぼ住宅と変わらないので、では一体これは何なのか、と。そこの線引きと定義の仕方、それを見つけながらうまく仕組み化できれば京都における新しい賃貸住宅のあり方が成立するのではないかなと思います。
京都の周辺、北部や南部においても、観光なのか住むことなのかという二極ではなくて、その間に実はさまざまな選択肢をたくさんつくることができて、その曖昧なところが曖昧なまま仕組みにできるとしたら可能性は広がると思うんです。観光ではなくても、何かその場所が持つ魅力と紐付けができないと厳しい気はしますが。

最近京都の西陣に事務所兼自宅をつくりました。そこも細長い敷地で、手前に住宅を置き、庭を挟んで奥に事務所を建てました。東京で住宅をつくる場合は安全条例における窓先空地問題がありますが、京都の場合は条例がないのでハードルがだいぶ下がります。僕たちの事務所兼自宅の敷地もそうなのですが、住宅をつくるには敷地が広くて、賃貸住宅を開発するには小さすぎる。特に西陣は、もともと西陣織の工場と住まいがセットになっているので、そういった場所が多いですが、京都全体で見てもそんな傾向があります。
住居にするには大きくて、賃貸にするには小さい、どっちつかずの広さの土地をどう活かすのか。そういった場所が空き家や空き地になっているケースも多いので、それは是非考えてみて欲しいです。僕たちは細長い敷地に通路を通すと間口が狭く、空間が成立しなくなるので、道路側住宅の1階をカフェとして、そこを通過して上階に自宅や奥の事務所に入る動線にしています。
昔ながらの生活感を新たな場所でも展開していくことで、京都らしさの進展にも繋がる面白さを発見しました。
応募者皆さんが自由な発想を持って、京都のどこかを元気にしてもらえたら嬉しいです。

西陣の事務所兼自宅

Photo:© 中村絵